委託者兼受益者の死亡により家族信託の契約が終了し、信託の残余財産を法定相続人たる子二人のうちの一方が承継したとき、信託財産以外の財産が少ないので、遺産分割協議で遺産全体の取り分が均等になるように代償金として信託の残余財産からもう片方の相続人に支払うというケースは多分に想定されます。
この場合に、法的には全く問題がありませんが、税務上大きな問題となり得るということが指摘されています。
今回は、具体的な事例を踏まえ、「信託の残余財産から代償金を支払う場合の贈与税課税のリスク」についてご紹介します。
事 例
- 被相続人:母A
- 法定相続人:長男甲、長女乙
- 母Aの保有資産:総額約5,000万円
母Aの保有資産内訳
- 信託財産:自宅不動産(時価評価額2,000万円)
信託金銭 金2,500万円
※ 母Aが受益者として実質的に保有 - 母A名義の預貯金口座:金500万円
家族信託(信託契約)の概要
- 委託者兼受益者:母A
- 受託者:長男甲
- 信託の終了事由:母Aの死亡
- 残余財産の帰属先:長男甲
法定相続人たる長男甲・長女乙の意向
信託契約書の中で信託の残余財産はすべて長男甲に帰属させる旨の指定があるが、長男甲と長女乙は円満な関係なので、遺産全体を約5,000万円として、長女乙にも遺産の半分はきちんと渡したい。
実際に行った資産承継手続きの概要
上記の意向を踏まえ、母A名義の預貯金口座(金500万円)については長女乙が相続する遺産分割協議書を作成。
さらに、長男甲は長女乙に対して、信託財産をすべて引き継ぐことに伴う「代償金」として金2,000万円を支払う旨の条項も遺産分割協議書に盛り込み、信託金銭から支払った。
事案の解説
信託財産となっている自宅不動産と信託金銭金2,500万円については、長男Aが信託終了時の帰属権利者として指定されているため、自動的に長男甲の承継財産となります(長男甲は受託者でもあるので、信託法第183条第3項により、残余財産を受け取る権利の全部又は一部を放棄することができないという解釈になります)。
一方、母A名義の預金500万円は、遺産分割協議の対象財産となりますので、長男甲・長女乙間で長女乙が相続する旨の遺産分割協議書を作成しました。
しかし、法定相続人である長男甲と長女乙は、円満な関係性に基づき、母Aの保有資産の全体に対して半分ずつ承継(相続)することで納得している中で、このままでは、長男甲が金4,500万円・長女乙が金500万円の資産を承継したことになり、二人が平等に資産を承継するという要望が実現できておりません。
そこで、不均衡を是正し、兄妹の想いを実現するために、長男甲が長女乙に対し、金2,000万円の代償金を支払う旨も遺産分割協議書に盛り込みました。
上記対応に対する税務的な考え方
信託契約において、母A(委託者)が信託財産として信託した財産は、委託者の所有権財産から隔離され、信託財産は形式的に受託者名義になります。
そして、「受託者」が所有者と同様の立ち位置で信託財産を管理・処分を行うことができますが、実質的にも税務的にも、信託受益権を持つ「受益者」(母A)が信託財産を保有していることになります。
信託財産は、それ自体独立した特別な財産とされており、受益者(母A)が死亡した場合でも、民法上の相続財産としては扱われないことになります。その法的効果としては、遺言対象財産になりませんし、遺産分割協議の対象財産にもなりません。
つまり、法律上は、信託契約書の中で指定された残余財産の帰属権利者(長男甲)が当然に信託財産を承継することになります。
ただその一方で、税法上は、母Aの死亡を原因として信託財産が長男甲に移っているので、信託財産も相続税の課税対象財産になります(つまり、税務上は、信託財産も信託財産以外の所有権財産と同じように母Aの保有資産として相続税の課税対象財産として扱われます)。
民法上の遺産(所有権財産)についての分割方法の一つである「代償分割」とは、遺産の全部又は一部を現物で共同相続人中の一部の者に取得させ、その代わりに、当該取得者に対して他の相続人に「代償金」を支払い義務を負担させる分割方法とされています。
しかし、長男甲は、多額の信託財産を承継しているとはいえ、民法上の遺産(所有権財産)については、一切取得していないので、「代償」という概念が生じないことになります。
上記を踏まえますと、長男甲と長女乙が遺産分割協議書において、「長男甲は長女乙に対して、代償金として金2,000万円を支払う。」としても、「代償金」という概念が生じ得ない以上、外観上、長女乙は、単に無償で金2,000万円を長男甲から譲り受けた形とみられてしまいます。
つまり、長女乙は、長男甲から金2,000万円を贈与を受けたとして、理論上、長女乙に対して贈与税課税がなされるリスクがあると言えます。
なお、このリスクについては、遺産の大半を生命保険金(死亡保険金)で長男に渡した場合、遺産をほとんどもらえない長女が長男から代償金を受け取る場合の考え方と似ています。
死亡保険金も法的性質としては、受取人固有の権利であり、民法上の遺産(所有権財産)でないので、代償金を受け取った長女は贈与税課税を受けることと理屈は同じとなります。
贈与税課税のリスク対策とは
では、上記の贈与税課税を受けるリスクがあるから、我が家では家族信託は活用できない、と結論付けるのは早計であり、誤った考え方です。
下記に、このような事例における贈与税課税のリスク対策についてご紹介します。
贈与税課税のリスク対策 ①(事前)
兄妹関係が円満であることを前提に、母Aの相続発生前(特に信託契約締結時)に事前に対策をとれるのであれば、信託契約書の中で、柔軟に対応できるような条項を置いておくことがベストと言えます。
具体的には、下記のような選択肢が一例として考えられるでしょう。
㋐信託契約書における残余財産の帰属先指定条項として、「信託不動産は長男甲」「信託金銭は、長男甲・長女乙で均等。ただし、両者の合意で自由に割合を定めることができる。」旨の記載を盛り込む。
㋑信託契約書における残余財産の帰属先指定条項として、「信託財産は長男甲・長女乙で均等。ただし、両者の合意で自由に割合を定めることができる。」旨の記載を盛り込む。
㋒信託契約書における残余財産の帰属先指定条項として、「信託財産はすべて長男甲」とするが、その負担(条件)として、長男甲には特定の計算式に基づく金銭を長女乙に支払う義務を課す。
㋓信託契約書及び遺言の中で「財産はすべて長男甲」と指定するが、別途遺言の中で、その負担として、長男甲には特定の計算式に基づく金銭を長女乙に支払う義務を課す。
贈与税課税のリスク対策 ②(事後)
母Aが亡くなった後に、事後的に対処する方法としては、長女乙から長男甲に対する遺留分侵害額請求に対する協議の結果として、長男甲から長女乙に対して金2,000万円を支払う旨の「合意書」を取り交わすということが考えらます。
まとめ
老親の保有資産の大半を信託財産として管理を担い、老親死亡時に複数の子の一部に残余財産の帰属を集中させることによる「信託の残余財産から代償金を支払う場合の贈与税課税のリスク」については、十分に認識する必要はあるでしょう。
その一方で、家族信託を活用して老親の万全の財産管理・資産凍結対策を講じる必要性があるにもかかわらず、『このリスクがあるから家族信託は実行しない』『このリスクがあるから、大半の財産を信託財産で預かることはしない』というのは、本末転倒です。
このリスクに対応できる法律専門職にきちんと相談をし、万全の資産凍結対策・争族対策・課税リスク対策を講じるべきでしょう。
弊所では、10年以上にわたり、「家族信託」を活用した老親の安心できる財産管理・生活サポート体制の構築(認知症などによる資産凍結対策)、円満円滑な資産承継対策(争族対策)、障害のある子に障害を安心して過ごせる環境を提供できる仕組み(親なきあと対策)などに精力的に取り組んでおり、全国のお客様家族のお手伝いをさせていただいております。
資産凍結対策・争族対策・親なきあと対策などに関しまして、何かご不明な点・ご不安な点・お困りな点等ございましたら、どうぞお気軽に弊所までご連絡下さいませ。